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一般社団法人 大津市歯科医師会

大津市の魅力発見

私たち大津市歯科医師会のある大津市は日本一の大きさを誇る琵琶湖はもとより、比良山や比叡山などの自然に囲まれ、美しい風景を、四季を通じて楽しむことができます。また世界文化遺産の比叡山延暦寺をはじめ、三井寺や石山寺などの歴史遺産も数多く有しております。平成15年10月には全国で10番目の「古都」の指定を受けています。

そんな大津市のおすすめスポット、隠れスポット、浮世絵近江八景をご紹介致します。

おすすめ観光スポット

  • 比叡山延暦寺
    比叡山延暦寺

    比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院です。
    平安時代初期の僧・最澄(767年 – 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院です。
    比叡山延暦寺は、世界の平和や平安を祈る寺院として、さらには国宝的人材育成の学問と修行の道場として、日本仏教各宗各派の祖師高僧を輩出したことから、「日本仏教の母山」と仰がれています。
    1200年の歴史と伝統が世界に高い評価をうけ、1994年にはユネスコ世界文化遺産に登録されています。

  • 園城寺(三井寺)
    園城寺(三井寺)

    滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山です。
    672年、天智天皇の永眠後、大友皇子と大海人皇子の間に皇位継承をめぐって「壬申の乱」が勃発、壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために寺を創建し天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことからとされています。観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られています。春は桜とライトアップ、秋は紅葉と見所一杯です。

  • 浮御堂(満月寺)
    浮御堂(満月寺)

    近江八景「堅田の落雁」で名高い大津市堅田、琵琶湖畔の満月寺にある湖上に突き出た仏堂です。 平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したと言われています。現在の建物は昭和12年の再建され、昭和57年にも修理が行われましたが、昔の情緒をそのまま残っています。境内の観音堂には、重要文化財である聖観音座像が安置されています。

  • 石山寺
    石山寺

    大津市石山寺にある東寺真言宗の寺で西国三十三所観音霊場第十三番札所になります。近江八景「石山の秋月」としても名高い寺院となります。巨大な硅灰石(天然記念物)の上に建てられていて「源氏物語」の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承があります。
    紅葉の名所としても知られ、秋にはライトアップが行われております。

  • 大津港
    大津港

    びわ湖の水運を利用した物資の集散地として栄えた。17世紀には千艘以上の丸子船が湖上を走り、日本国中の物資が集まり賑わいを見せた。現在はびわ湖観光の玄関口として賑わっている。
    かつて北国と畿内を結ぶ物資の湖上交通の要所で豊臣秀吉が、大津港に大津百艚船仲間を作り、北国物資の集散地として栄えました。現在は琵琶湖観光の玄関口として賑わい、湖遊覧やクルーズなどが人気となっています。
    美しい琵琶湖を背景に噴き上げられた「びわこ花噴水」は、高さ最大40メートルにもなり、放水される水量や角度により、さまざまな形に変化し色とりどりの幻想的な風景を作り出しています。

  • びわ湖バレイ
    びわ湖バレイ

    琵琶湖西岸にそびえる比良山系にある。都市近郊型スキー場です。ゲレンデから眼下に琵琶湖を望む、国内有数の眺望を誇っています。
    春は桜、夏は涼しく、秋は紅葉とオールシーズン、ソリ遊びや遊具、観光リフト、絶景レストランなどの高原リゾートが楽しめる施設です。

  • 琵琶湖疏水
    琵琶湖疏水

    琵琶湖から京都市に通じる運河。明治時代に発電や物資輸送、農業用水など多目的に利用することを目的で開削されました。第1疏水は明治18年(1885)に着工、同23年に開通しました。第2疏水は、明治45年に完成をみています。
    山手の三井寺の桜と一体となって滋賀県屈指の桜の名所で国指定史跡となっております。

桜のシーズンにおすすめ 隠れスポット

  • 天孫神社と大津祭り
    天孫神社と大津祭り

    桓武天皇ゆかりの神社で、四宮神社とも呼ばれる古社です。大津城が築城された際には城下の守護神として町衆より崇敬されました。例祭の「大津祭」は湖国三大祭のひとつで京都祇園祭の風情を色濃く継承した祭礼です。現在13基ある曳山はいずれも江戸時代に制作されたもので、各曳山にはからくり人形が乗っているのが特徴です。
    小さな神社ですが、ここの桜は毎年見事です。 木々が比較的低いせいか、迫力があり、 夜にはライトアップもされています。

浮世絵近江八景

「大津」といえば、連想されるのが「琵琶湖」そして「近江八景」ではないでしょうか。
今も昔も琵琶湖の周囲には、風光明媚な景勝地がたくさん散在しています。この風景の選定には諸説があって、室町時代の僧たちが中国の「瀟湘(しょうしょう)八景」からヒントを得て決めたのではないかとされているようです。そして、江戸時代にはいると屏風絵や着物の意匠に使われるほどポピュラーになっていったようです。
大正期の文部省唱歌には「近江八景」(琵琶の形に似たりとて 其の名をおへる湖の 鏡の如き水の面 あかぬながめは八つの景)とも歌われました。格調高い広重の「浮世絵」をお楽しみ下さい。

  • 「瀬田の夕照(せたのせきしょう)」
  • 「石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)」
  • 「粟津の晴嵐(あわづのせいらん)」
  • 「三井の晩鐘(みいのばんしょう)」
  • 「唐崎の夜雨 (からさきのやう)」
  • 「比良の暮雪(ひらのぼせつ)」
  • 「堅田の落雁(かたたのらくがん)」
  • 「矢橋の帰帆(やばせのきはん)」

この『大津絵』は「高橋松山」氏の作品を、『浮世絵版画・近江八景』は 「大津市歴史博物館」の所蔵品を、それぞれの許諾の元に掲載しています。

  • 瀬田の夕照(せたのせきしょう)
    瀬田の夕照(せたのせきしょう)

    唐橋を制する者は天下を制す」といわれ、天正3年(1575年)織田信長の架橋した記録を彫りつけた唐金(青銅)製の親柱の擬宝珠が有名です。別名「長橋」とも呼ばれており、古来から交通の要衝でまた戦乱の舞台ともなりました。
    現在の橋は1979年架橋されたコンクリート桁橋です。全長220m,欄干などに往時の趣が保たれてます。
    「瀬田の夕照」には、唐橋から眺めた琵琶湖の空が朱色に染まる夕暮れの情景を描いています。

  • 石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)
    石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)

    伽藍山の岩山に建つ石山寺の伽藍と名月観賞の舞台『月見亭』から望む満月を描いた「石山秋月」。平安時代以来、観音信仰の寺として尊敬をあつめた石山寺は奈良時代に創建されました。
    参籠中の紫式部が「源氏物語」須磨・明石の巻を執筆したともいわれます。

  • 粟津の晴嵐(あわづのせいらん)
    粟津の晴嵐(あわづのせいらん)

    大友皇子の子、与多王による創建が伝承される大津市の北西にある三井寺(園城寺)。三井とは天智、天武、持統の三帝が産湯に用いた霊泉があることに由来しているそうです。
    「天下の三銘鐘」の一つにも数えられている、三井寺の鐘は毎日夕刻に撞かれ、美しい音色を周囲に響かせています。

  • 三井の晩鐘(みいのばんしょう)
    三井の晩鐘(みいのばんしょう)

    桓武天皇ゆかりの神社で、四宮神社とも呼ばれる古社です。大津城が築城された際には城下の守護神として町衆より崇敬されました。例祭の「大津祭」は湖国三大祭のひとつで京都祇園祭の風情を色濃く継承した祭礼です。現在13基ある曳山はいずれも江戸時代に制作されたもので、各曳山にはからくり人形が乗っているのが特徴です。
    小さな神社ですが、ここの桜は毎年見事です。 木々が比較的低いせいか、迫力があり、 夜にはライトアップもされています。

  • 唐崎の夜雨(からさきのやう)
    唐崎の夜雨(からさきのやう)

    平安時代より、水辺での身の汚れを祓う、みそぎの地として知られた唐崎は、朝廷の七瀬祓所の一つといわれておりました。雨にけむる荘厳な姿が印象的な「唐崎夜雨」、その初代の巨松は、天正九年(1581)の大風で倒れたと伝えられています。現在の松は三代目にあたります。

  • 比良の暮雪(ひらのぼせつ)
    比良の暮雪(ひらのぼせつ)

    琵琶湖の西岸に沿って連なる比良山地が雪に覆われ、琵琶湖の雄大な眺めと対照的な美しさを見せています。その情景を描いた「比良暮雪」。
    春のおとずれを感じる頃になっても、なお雪を残す連山は雄大かつ、優美な姿だったことが想像できます。

  • 堅田の落雁(かたたのらくがん)
    堅田の落雁(かたたのらくがん)

    大津市堅田にある浮御堂(正式名称 海門山満月寺)が舞台となり、中天から連なった雁の群れが列をなして優雅に舞い降りる、湖に浮かぶ浮御堂が描かれた「堅田落雁」。
    平安後期に湖上の交通安全を祈願した恵心僧都が千体仏を安置したことに始まり、航行の目印とされました。

  • 矢橋の帰帆(やばせのきはん)
    矢橋の帰帆(やばせのきはん)

    矢橋港(現在の草津市)には、江戸時代に対岸の石場(大津市)との間の渡し舟があり、東海道を行く旅人が大津から東へ向かう近道として賑わいました。「矢橋帰帆」には、その湖上を進む帆船の群れが描かれています。